私が妊娠検査薬を試した理由は、いまにも最後の時を迎えようとしている父に妊娠したことを伝えたかったからです。
私は1年半ほど不妊治療をしていて、初めての体外受精(顕微授精)で受精卵を移植しました。
私が父の入院の連絡を受けたのは、ちょうど移植周期に入った時でした。
私はすぐに新幹線で実家に駆けつけました。
父がもう長くないことを知って、私はなるべく父のそばにいたいと思いました。その時私は在宅ながら仕事もしていましたし、大事な移植周期の途中、さらにコロナ渦で県外への移動も憚られる中でしたが、それらの事実よりも本能で父のそばにいたい、と思いました。
不妊治療の周期でいうと、移植周期だったのが幸いしました。
これがもし採卵周期だったとしたら、最低4日に一度は病院に通わなけばならず、父のそばに長くいることは叶わなかったかもしれません。
移植周期は私の場合、病院を受診した回数は移植日までに2回だけでした。
移植後も判定日まで薬を飲んでさえいれば受診の必要はなく、判定日も指定された日以降なら多少ずらしても大丈夫とのことでした。
実家にいる間私はほぼ毎日病院に通い、最後の方は一日2回病室を訪問していました。私と姉、母が順番で父の顔を見に行きました。
父はがんでした。入院していたのはいわゆるホスピス、緩和ケア病棟です。
モルヒネを打ち、痛みは楽になったものの、時には混乱した内容の電話がかかってくることもありました。
父は大人しい患者だったと思います。同じ緩和ケア病棟では何度もナースコールを押して看護師さんを呼ぶ人を見かけましたが、父はじっと耐え、看護師さんの方からやって来るのを待つタイプでした。
飲食を拒否し、自らの死期を早めた父。理由は看護師さんらの話から想像することしか出来ませんが、私たち家族に迷惑をかけたくなかったということ。
生きることに消極的になった父に、どうにか少しでも生きるための何かをして欲しいと、私達家族はあれこれ世話を焼きました。それが本人にとってどう感じられたのかは分かりませんが、私たち自信が悔いのないようにすることが精一杯でした。
父が憔悴し痩せていくにつれて、私の移植周期は進んでいきました。
移植したその足で新幹線に乗り、実家に向かいました。ふだんの私なら、新幹線の振動が心配で‥などと考え移植日は安静にしていたと思いますが、自分の中でその日父に何かあったら。と考えると当日中に実家に向かう選択肢しかありませんでした。
移植日から1週間ほどして、私は悩み出しました。
以前は判定日までフライングの妊娠検査薬は絶対しない。と考えていました。体外受精に踏み切っても、妊娠検査薬で真っ白の陰性が出るのを見るのが怖かったのです。
でももしかしたら判定日まで父はもたないかもしれない。と思いました。
実際父の病院のお医者さんにも、そろそろ覚悟を。ということを言われていました。
そこで私はフライングの妊娠検査薬をする事を決めました。夜に思いついて、翌日父の病院に行く前に姉とドラッグストアで妊娠検査薬を買いました。
そして父の入院する病院のお手洗いで妊娠検査薬を試しました。
もしいい結果が出た場合、父に早く伝えたいと思ったからです。明日父に会える保証はない、ということが私を急がせました。
きっと何もなければ、妊娠検査薬で判定する間もっと緊張していたと思います。でもこの時は急いでいたので、とても思い切りよく検査に踏み切れました。
妊娠検査薬が陽性だった方のネットの情報などを見ると、「尿をかけるとすぐ陽性ラインが出た」という表現をよく見かけます。
そのため、私は◯秒待つという検査薬の記述にとらわれず、尿をかけてすぐが勝負だ!と思っていました。
実際、尿をかけた直後。
判定ラインは真っ白でした。
体外受精をしても駄目だった。本気でそう考える時間がありました。
しかし数秒後、じわじわと薄いラインが出てきました。
これまで何度も妊娠検査薬を試して、一度も陽性ラインを見たことがないので、驚きと疑いの目でしばらく検査薬を見つめていたと思います。
これは現実だ。
そうわかったとたん、まず病室で父と一緒にいる姉に検査薬陽性の画像を送りました。すぐに、感動してくれた様子の返事が返ってきました。
姉にはいま1人子供がいますが、子供ができるまでしばらくは親に子供を見せてあげたいという気持ちが強かったと言っていました。
そのため、私が妊娠していたら伝えたい。と相談した気持ちもよく理解してくれ、実際に妊娠したことも自分のことのように喜んでくれていた気がします。
検査薬をパッケージに戻してカバンに入れ、病室に戻りました。姉から祝福の言葉をもらい、少し恥ずかしいような歯痒いようなそんな感覚を噛み締めました。
そうして、父に伝えました。
父はほとんど何の反応も示しませんでした。もう言葉を発する力は残っていなくて、かろうじて瞬きなどで意思表示ができるくらいの状態でした。
お腹に赤ちゃんがいる、そう一方的に伝えて父の手をとり、自分のお腹に当てました。
父の腕にはもう力はなく、私が手を話すとだらんと落ちてしまうような、そんな父の手を自分のお腹に当てました。
父から妊娠したことに対する言葉はもらえなかったけど、妊娠したことを伝えることはできたのかな、と思っています。
その3日後、父は亡くなりました。